バリ島への観光やジャカルタへ出張をする方。インドネシアに来た際にルピアでお支払いをするときに金額のゼロの多さに驚かないためにも、インドネシアの通貨「ルピア」について基本的な知識を持っておきましょう。それ以外にも、
- インドネシア ルピアの紙幣に描かれている人物を知りたい!
- インドネシア ルピアの為替レートの推移は?
- 旅行で行くときはどれくらいインドネシア ルピアを換金した方がいいの?
とお悩みのあなた。この記事では、インドネシアのお金ルピアについての基礎知識から豆知識を紹介しています。インドネシアに渡航予定のある方は是非参考にしてください。
記事の目次
インドネシアの通貨の日本円換算方法
インドネシアの通貨は『インドネシア ルピア(Indonesia Rupiah)』と呼ばれ、IDRやRp.と表記されます。日本円や米ドルと比較しても単位が大きく、最初はインドネシア ルピアのゼロの数に戸惑った方もいるのではないでしょうか。
最近では100 IDRあたり、0.8円前後で推移しており、100,000 IDR で800円程。現地でお金を使う際はゼロを3つ取って、それに8を掛けた値段が日本円だと考えるとわかりやすいと思います。外貨両替を行う際は、両替手数料が引かれたレートが適用されるので、単にゼロを2つ取って計算しても良いかもしれません。
ルピアを持ち歩く際に厄介なのがお札の小ささ。インドネシア ルピアのお札の種類は以下の通り。
【紙幣】
Rp. 100,000・・・約800円(ピンク)
Rp. 50,000・・・約400円(青)
Rp. 20,000・・・約160円(緑)
Rp. 10,000・・・約80円(紫)
Rp. 5,000・・・約40円(黄)
Rp. 2,000・・・約16円(薄緑)
Rp. 1,000・・・約8円(水色)
【コイン】
Rp. 1,000・・・約8円
Rp. 500・・・約4円
Rp. 200・・・約1円
Rp. 100・・・約0.8円
1万円分を持ち歩くには、13枚の紙幣が必要になります。お財布がパンパンになってしまうのも無理ありません。加えて、Rp.20,000以下は臭くて汚いお札、文字が書かれているお札も目立ちます。
空港での両替はレートが悪い!?
ジャカルタやバリに訪れる前に日本の空港で両替をしようと思っている方。インドネシアの人も日本円が欲しいからか、インドネシアで両替した方が総じてレートは良いです。日本での換金は最小限にして、ジャカルタやバリに着いてから両替することをおすすめします。
なお、ジャカルタはショッピングモールの1階や地下1階、バリには街中の至る所に両替所があります。両替したらその場で現金を数えるようにしましょう。大量の現金を数えた後のひったくりにもご注意を。
買い物の際はこれに注意!
IDRという表記以外にも、Rp.やribu、rb、RあるいはKと表記されていることも。IDRまたはRp.は単にルピアの省略語ですが、ribu 、rb、R、Kの表記はゼロの数を省略しています。ribu(rb)とはインドネシア語で「千」という意味。そのため、100,000IDRは100ribu(rb) と表記されます。また、カフェやレストランでKという表記を見ると思いますが、これも「キロ」の省略語でゼロを3つ省略しています。1K=8円程と記憶しておくと便利でしょう。
また、ローカルなお店で買い物をする際やタクシーを利用する際は、店員や運転手がお釣りを持っていないケースが非常に多くあります。「お釣りが無いから勘弁して」や「Rp.1,000が無いからあなたがRp.1,000をくれればRp.2,000を払うわ」といったことが頻繁に起こります。インドネシアでも、細かいお金をしっかり持つようにしている人、貰ったRp.2,000も臭くて汚いから「お釣りは結構」というスタンスの人。自分に合った方法で対処するようにしましょう。
ルピアの為替推移チャート(円vsルピア&ドル)
為替相場の変動は基本的に需給バランスで決まります。日本円を欲しい人が増えた場合は円高・ルピア安になりますし、インドネシア ルピアを欲しい人が増えたら円安ルピア高になります。
では、どのような時に「日本円が欲しい」や「ルピアが欲しい」となるのでしょうか。ルピア目線で日本円と比較して解説します。
為替変動理由①~貿易収支~
インドネシアの輸出が増加→ルピア高・日本円安
インドネシアの輸入が増加→ルピア安・日本円高
インドネシアが製品を日本に輸出した場合、代金として日本円を受け取ります。一方、従業員の賃金や原材料費を支払う為には、代金として受け取った日本円をルピアに交換しなければなりません。そうなった場合、インドネシアでは「日本円を売ってルピアを買う」という取引を行います。インドネシアからの輸出が増加すると、ルピア高・日本円安になります。逆にインドネシアの輸入が増えると、その逆の事態が発生します。
為替変動理由②~物価の変動~
インドネシア国内でのインフレ→ルピア安・日本円高
インドネシア国内でのデフレ →ルピア高・日本円安
インフレとは、物価上昇のことを指し、Rp.1,000で買えたものがRp.1,100でしか買えなくなるということです。そのため、インドネシアで「Rp.1,000を持っていても損するかもしれないから日本円にしておこう」という発想になります。急激な物価上昇は貨幣価値の低下につながるので、緩やかな物価上昇が良しとされています。
為替変動理由③~金利差~
あなたが預金している日本円の金額が知らぬ間に2%増えていたら嬉しいですよね?もし1億円をもっていたら2百万円も増えます。大金を預金する人や投資家にとって、金利が何%あるのかは重要です。
インドネシアの金利は5%~7%あるので、大金を持っている人たちの中にはインドネシア ルピアを預けている人もいることでしょう。10億円分のルピアを預金していたら、何もせずとも5千万円分も増えるので、一生遊んで暮らせると思ってしまいます。
しかし、金利が高い理由の1つに、その国・貨幣のリスクが高いということが挙げられます。極端に言えば、来月内戦が起こるかもしれない国の貨幣を持ちたいでしょうか?途上国の金利が高い要因として、インフレ率以外にも政治経済面での不安定さが孕んでいます。
金利は他国の数字も影響する相対的な数字です。全世界の国の金利が5%ならば、最も安全な国に安全な通貨で預けるのが得策。世界で最も汎用性が高いとされる米ドルが高い金利ならば、全ての人が米ドルを持ちたがるでしょう。
米ドルの金利がインドネシア ルピアより相対的に低いと考える人が、インドネシア ルピアを保有し、金利による利益を稼ごうとします。そのため、アメリカの金利が上がれば、インドネシア ルピアを持たずに米ドルを持とうと考えます。
そこで重要になってくるのがアメリカ版日銀であるFRBの金利指数。アメリカが好景気であれば、FRBは「金利を上げてもお金を借りてくれるから大丈夫だろう」と考えます。逆に不景気ならば、「金利を下げてでも皆にお金を使ってもらって経済を活性化しよう!」などと模索します。
その判断の重要な材料になるのが、アメリカの失業率。「失業者が少ない→稼ぐ人が増える→金を使う人が増える→金利を上げても大丈夫」となります。力のある米ドルの金利を上げたら、先に述べたようにわざわざリスクを背負ってインドネシア ルピアを持っているメリットが減り、インドネシア ルピアを保有している世界中の投資家が「ルピアじゃなくて米ドルにしよう」と考え、ルピア安・ドル高になります。投資家にとって、アメリカの雇用統計およびFRBの金利指数はとても重要な意味を持ちます。
為替変動理由④~通貨発行~
あなたが持つ世界に10枚しかない激レアカードを欲しいという人が現れたら、いくらで売りますか?きっと高値で売るか、どんどん価値が吊り上がるのを待つことでしょう。
そんな時に突然、「激レアカードを1億枚増やします!」などと言われたらどうでしょうか。当然「待ってくれ、激レアカードの価値が下がってしまうではないか」と思うでしょう。カードを通貨に置き換えた場合、その発行権を握っているのが中央銀行です。『通貨の増減=通貨価値が上下』は、物価を変動させ、ついてはインフレやデフレを誘発します。
為替変動理由⑤~気分(期待)~
「景気の気は気分の気」ともいわれるほど、人々の気分や期待が大きく左右します。例えば、「この大統領は輸出を増やすと言っているな」とか「輸入品には関税をかける法案が可決しそう!」といった期待値で、「今のうちにインドネシア ルピアを売って(買って)おこう」と考える人が出てきます。そのため、権力のある人の発言は大きな意味を持ちます。
当該国や大きな国の大統領選挙などは、投資家にとって目の離せないビッグイベントなのです。
インドネシア ルピアに描かれている人物紹介!
インドネシアの紙幣は7種類。それぞれに人物が描かれており、この人は誰なのだろうと疑問を持った方も多いと思います。ルピア札は2016年に新札が作られ、Rp100,000以外は紙幣に載っている人物も変わっているので、新旧紙幣共に紹介します。
1番大きな紙幣 Rp.100,000
(左)【スカルノ:1901~1970】
(右)【ハッタ:1902~1980】
この2名はインドネシア共和国の父と呼ばれる独立運動において大きな足跡を残した政治家たち。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港は両者の名前が掛け合わさったもの。
スカルノはインドネシアの独立宣言後、そのカリスマ性と演説力で初代大統領となりました。スカルノはスラバヤ出身の人物で、ジャワ人の父とバリ人の母を持ち、自身は文化的にもハイブリッドな環境で育ちました。
彼が独立までに重ねた功績はインドネシア人でも知らない人はいません。しかし、独立後は反帝国主義を掲げたことが国内での反発を生み、反共産主義を掲げていた当時のスハルトに負け、大統領の座を失脚。日本のテレビタレントのデヴィ夫人は、スカルノの第3夫人であったことでも知られています。
ハッタ(ムハンマド・ハッタ)はスカルノと同じくインドネシアの独立運動に貢献し、初代副大統領に就任。彼は西スマトラの出身で、実家は商売をするお金持ち。
当時インドネシアの宗主国であったオランダへの留学経験もあり、インドネシア独立を進めるうえでヨーロッパ諸国とのパイプ役も担っていました。しかし、スカルノとは仲が良好ではなかったことは有名で、両者の考え方には大きな隔たりがありました。やがてスカルノとの対立が顕著となり、1959年に副大統領を辞任します。
青色の紙幣 Rp.50,000
新札:【ジュアンダ・カルタウィジャヤ:1911~1963】
西ジャワにあるタシクマラヤ出身の有名な政治家で、インドネシア10代目の首相を務めました。その後、インドネシアの財務大臣を務め、最後はジャカルタにて心臓発作で他界。
彼の最大の功績は1957年に彼自身の名を入れた「ジュアンダ宣言」。それまではインドネシアの領海はオランダ法によって定められていましたが、ジュアンダ宣言以降、それまでのオランダの法律は改定され、インドネシアは群島国家としての地位を確立するための大きな一歩を示すことができました。結果としてこの宣言がきっかけとなり、インドネシアは当時の領海を大幅に増やしていくことに成功しています。
旧札:【イ・グスティ・ングラ・ライ:1917~1946】
彼はインドネシア独立戦争時の英雄と称され、玉砕を遂げたことで有名。バリ出身で現在のバリにある国際空港の名前は彼の名前になっています。(デンパサール空港は通称名)当時インドネシアはオランダ軍の激しい攻撃を受け、独立軍は窮地に追い込まれていました。
彼の故郷のバリも例外ではなく、そのような状況下で彼はバリの軍事指揮者でした。様々な政治勢力が入り乱れる中、ングラ・ライはそれらを人民治安軍として統率することに成功します。しかし、後のパドゥン県での戦いでオランダの降伏勧告を拒否したことで、彼の部隊は一人の生存者の残らず玉砕を遂げています。
緑色の紙幣 Rp.20,000
新札:【サム・ラトゥランギ:1890~1949】
北スラウェシ州トンダロ出身のジャーナリスト・政治家。彼も独立に大きく貢献した英雄の一人と称賛されています。ジャーナリスト時代は植民地政府を批判することを躊躇せず、リスクを顧みずインドネシアのナショナリズムを支持。
その結果、バンドンで数か月投獄させられてしまいます。出所後はインドネシア独立準備委員会のメンバーの一人に任命され、スラウェシ州知事にも任命されています。しかし、オランダが再度攻め込んできた際に逮捕され、自宅軟禁に。健康上にも問題も相まって58歳で亡くなりました。
旧札:【オト・イスカンダル・ディ・ナタ:1897~1945】
オトは西ジャワ・バンドン出身の独立運動家。オランダ領東インドの人民評議会のメンバーとして参加していました。スンダ出身の父を持ち、9人兄弟の3番目で、幼いころからバンドンで育ちました。
彼は学校を卒業すると中央ジャワにあるHIS (Hollandsch-Inlandsche School) の教員になりました。その後、ジャワ島のスンダ文化を広めるための活動に従事したり、人民評議会のメンバーの一員となって独立運動にも貢献したりしました。インドネシア独立宣言後に自身で率いた組織でオランダ軍との闘争を準備しますが、その最中暗殺されてしまいます。
紫色の紙幣 Rp.10,000
新札:【フランス・カイシエポ:1921~1979】
彼はパプアの政治家、およびインドネシアの国家主義者であり、パプア州の第4代目の知事。フランスのマリノ会議にも出席し、インドネシア共和国の設立をパプア代表として討議しました。
その会議の中で彼はパプア州の事を「イリアン(蒸し暑い)」で呼ぶように提案したことが有名で、その後もインドネシアとパプアの併合に向けて様々な会議に出席。結果として1969年にパプア州インドネシアの一部となり、現在も続いています。現在パプアにある空港は彼の名前なので、是非チェックしてみてください。
旧札:【マフムド・バダルッディーン2世:1767~1862】
マフムドはオランダに抵抗したパレンバン地方の領主。当時オランダとイギリスはパレンバン地方の特産品の錫(すず)を獲得するため争っていました。
マフムドはイギリスと対立し、一時はパレンバンから追い出されることもありました。しかし、イギリスがオランダとの争いに勝つべく、マフムドを呼び戻し、共闘してオランダと抗争を仕掛けます。ラマダン中にパレンバンに攻撃を仕掛けますが、マフムドも追放されテルテナ島で死亡しました。
黄色の紙幣 Rp.5,000
新札:【イダム・チャリッド:1921~2010】
南カリマンタン州サトゥイ出身で国民協議会議長などを歴任したイスラム指導者。子供のころから知能が高く、学生時代は飛び級していたことも有名です。
独立戦争後は国会議員にも選出され、カリマンタンの代表議員を務めました。その後、様々な役職を経験し、最終的にはインドネシアの最高諮問委員会委員長を務め、完璧なエリート街道を歩みます。チャリッドは政治だけでなく宗教活動にも積極的であり、後にイスラムの指導者と呼ばれます。
旧札:【チュアク・イマム・ボンジョル:1772~1864】
チュアクは現在の西スマトラ州で起きたパドリ戦争の中心人物。チュアクが率いるイスラム改革派(パドリ派)とオランダ軍が率いる反パドリのアダット派との対立を繰り広げました。
飲酒、タバコ、売春、博打など反イスラム慣習をなくそうと対立しましたが、反抗拠点となっていたボンジョル砦が1832年に陥落し、彼自身も1837年にオランダ軍に捕らえられその後島を転々とした後、客死しました。
灰色の紙幣 Rp.2,000
新札:【モハンマド・フスニ・タムリン:1894~1941】
タムリン通りで知られるジャカルタ特別州出身の民主主義運動指導者。オランダ植民地時代の国民参議院のブタウィ人の代表です。
オランダ人を祖父に持ち、裕福な家庭に生まれたにも関わらず、当時の地域社会を改善するために政治会へと足を踏み出し、25歳の若さでバタビアの市議会メンバーとして選出。1941年、彼は日本の協力者であると非難され、闘争中に拘束されてしまいます。獄中で死を遂げましたが、現在でも彼の銅像がモナス南側のメダン ムルデカ スラタン通りに設置してあります。
旧札:【アンタサリ王子:1809~1862】
アンタサリ王子は、カリマンタン島南部にあったバンジャール王家の王子です。彼は19世紀の植民地時代にオランダと勇敢に戦った英雄と称されており、バンジャール王家の王位継承をめぐる争いの中、オランダの力が背景にあったタムジード王子とオランダ軍に対抗。
数千の兵を率い、オランダの船を見つけてはことごとく沈め、一時は優勢でしたが、援軍を得たオランダ軍に捕まってしまい処刑されました。
水色の紙幣 Rp.1,000
新札:【チュット・ムディア:1870~1910】
ルピア紙幣の登場人物の中で唯一の女性。アチェ出身で、反オランダ戦争を戦った女性指揮官です。彼女は夫と共にオランダに抵抗し、1905年に死刑宣告を受けてしまいます。
夫が死んだ後、子供を知人に託し新たに2番目の夫と結婚。再び共に戦いますが、最後は銃殺されます。インドネシアでオランダと勇敢に戦った女性と称され今でもその名は語り継がれています。
旧札:【パッティムラ:1783~1817】
彼はモルッカ諸島・アンボン州というところの出身で、モルッカ島におけるオランダ抵抗運動の立役者で現在でも英雄と称されています。
当時のモルッカ諸島はイギリス軍の手中にあり、彼自身もそこでイギリス海軍に所属していました。しかし、1814年英蘭条約にてオランダに制圧されてしまい、布教に対する反抗心から仲間と共に対オランダ運動を開始。1817年にデューレステージ要塞を奇襲したのですが、翌月逮捕され、処刑されてしまいます。
インドネシアの物価水準は?
物価の基準としてよく使われるMcDonald’sのビッグマック。インドネシアのビッグマック指数は2.19。日本は3.51なので、約6割の金額で購入できます。
これだけで一概にインドネシアの物価が分かるというわけではありませんが、1つの指標になるはず。また、コカ・コーラは350mlでRp.5,000(約40円)。
一方、ワルンやカキリマといった屋台で食事をすれば一食100円前後。お腹を壊すこともあるので、初めての方は特に屋台の食べ物には要注意です。
ほとんどの飲食料が日本よりかなり安い価格で販売されていますが、お酒や豚肉、輸入品は日本より高い値段で販売されています。インドネシアは世界一イスラム教徒人口が多い国で、お酒や豚肉はかなりの税関がかかってしまうという理由があります。日本のお酒や輸入しているお酒を飲む際はその値段に注意しましょう。3~5倍の値段もすることも稀ではありません。
インドネシア ルピアについてのまとめ
インドネシアの通貨ルピア。紙幣に描かれている人物のほとんどがインドネシア独立に貢献してきた人物であり、そこから歴史を学ぶことができます。日本もかつてインドネシアを支配していた国の1つ。お札を通してインドネシアの歴史について勉強するきっかけにもなるのではないでしょうか。
現在日本とインドネシアは国交樹立60周年を迎え、親日家も多いインドネシア人。これからより一層インドネシアと日本の関係が深化することが期待されます。インドネシアに来た際は是非お札を手にして、その歴史を感じてみてください。また、インドネシアの物価やお金の使い方などを予習しておくとスムーズな旅ができるのではないでしょうか。